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最近のPTAに対する批判をみると保護者の教育に対する意識が垣間見える

新年度も始まり、小学校や中学校ではPTAの役員や委員も入れ替わりの時期です。昨年からPTAに対する風当たりが強いですが、ブログやtwitterなどでPTAを批判されている保護者の意見を読むと的外れな意見が多く、感情論を枠を出てないと感じます。

 

 

 

PTAは時代に合っていないから無くせ!という意見は、極端すぎます。上のツイートや、前回の投稿にも書いたとおり、

 

保護者は子どもの教育に最大限協力する義務があります。

 

PTAを無くすなら、代わりに子どもの教育に携わる場なり団体なりの受け皿が必要です。実際に立ち上がっていなくてもいいですし、そこまで考えた上で無くせと言っているのではないとしたら、それこそ保護者として無責任な発言です。

 

じゃぁ、今のままのPTAでいいのか?という指摘は上の義務の切り口で見ると全然違う議論になります。

 

上の義務に照らせば、「PTAの在り方」の問題は、単なる方法論の問題でしかないです。義務を履行するためにPTAという団体を利用するということです。PTAの様々な活動・イベントが今の時代に合っていないなら止めるなりすればいいし、PTAでは仕事の都合で活動に「一切参加できない」なら、PTAを脱退すればいいです。これらは方法論の問題なので、改善するところは改善すればいいだけです。

 

PTAの活動を縮小したり部分的に取りやめるイベントがあっても、子どもの教育に協力して「いない」ことにはならないのは自明です。最大限というのも、絶対的な尺度はないので、やれる範囲でやればいいというのがぼくの考えです。

 

ただ、ここでぼくが心配しているのは、PTAの問題が単なる方法論の問題であるにも関わらず、それを理由に義務を放棄する保護者が続出しないか。という点です。

 

「仕事が忙しくてPTAに加入しない」ことや「PTA活動の方針に賛成できないからPTAから脱退する」ことを、「子どもの教育に協力しなくてもいい」と拡大解釈する保護者が出てこないか。

 

意識的に思っていなくても、PTA以外の受け皿が無い状況では、なし崩し的に教育の現場をサポートする人が居なくなってしまうことを心配しています。ぼくもPTAの役員をやって気が付きましたが、小学校の運営も保護者の協力は不可欠だと思っています(自分たちをほめているわけではなく)。様々な場面で、マンパワーが足りていないのは明らかです。

 

PTAを脱退(加入しない)したとしても別の形(上手い例えが無いのですが、地域の寺子屋活動に協力する等)で関われば、義務を違反していることにはならないですよね。

 

今のPTAに対する批判には、PTAに加入しない場合にどうやって教育に関わるのか。という議論がすっかり抜けてしまっています。

 

余談ですが、、

こういう話をすると、うちの子どもはうちで教育するので結構です。という意見の保護者も居ますが、この批判も全く受け入れられません。子どもを教育するのは、小学校や中学校の先生であって、PTAが協力しているのはその教育の「場」に対してなので、子どもをその保護者の責任で塾に通わせたりする話とは別です。