自己満足で会社を辞めるのはなぜ否定されるのか

こんばんは。ツムさんです。

 

仕事のやりきった感って味わったことありますか?

 

自信をもって「ありまーす!」と答えられる人がどれくらいいるのか分かりませんが、私は人生において2度目です。

 

 

一度目は20年くらい前の大学生時代にやっていたバイト。

 

サービス業のバイトだったけど、バイトでは普通はやらないような仕事を担当させてもらって、全店舗の中で一番の売り上げを記録したときは、

 

「あー、やりきった。」

 

と思えたわけです。丁度、バイトも諸事情で続けられない時期となり、やりきったところで、引退となりました。

 

んで、2度目はついこの前、

 

会社の仕事で、たまたまというか、そういう仕事を選んだわけなんだけど、ある製品のLow-endからHigh-endまでのラインナップに関わるようなとあるプロジェクトをやらせてもらったこと。

 

このときも、プロジェクトの終盤で

 

「あー、終わったな」

 

充足感がとんでもなかった。

 

こういう満足感を味わった後は、次の仕事へのモチベーションが湧かないんだよな。。

 

皆はどうなんだろう。

 

満足しても物足りなくて、次の仕事にもすぐに打ち込めるという人も聞くけど、

 

羨ましすぎる。。

 

あっ、でも半分は羨ましくないかな。

 

際限のない満足感を求めて、仕事のスパイラルから抜け出せないようなのは嫌だ。まぁ、きっとそういうのは、サラリーマン・ハイ状態になってるから、本人も疲れ知らずで働き続けられるのだと思うなぁ。

 

 話を戻すと、満足感は主観的なものだから、本人が満足しているかしていないかということしかないのだけど、満足感が得られたから会社を辞めるというのは、どうして否定されないといけないのか。というのが今日のテーマ。

 

「会社を辞めなくてもその経験を生かして次の仕事へ行けばいいじゃん」

 

「いや、だから、同じような仕事を続けるモチベーションが湧かないんだよ。。」

 

「じゃぁ、辞めずに、全然違う仕事をやってみたら?」

 

「やってみたいことはこの会社じゃぁできないんだよね」

 

「なにそれ、我が儘じゃないの?」

 

。。。

 

我が儘ですか?

 

会社からするとモチベーションのない社員がダラダラと残り続けるほうがよっぽど迷惑だと思うんだけど、どうして、会社に残る前提でしか話をしてくれないのか。

 

同情?憐み?

 

でも、私の人生に最後まで責任とってくれる人なんて結局どこにもいないよ。

 

あなたの意見に従っても責任なんてとってくれないでしょ? 

 

そんなあなたを責めているわけではなくて、責任をとらなくて済む範囲の話しか話してくれないのが分かるから。

 

自分の生き方は自分で決めるしかない。

 

進学、就職、結婚、、

 

自分の人生を決めてきた「運命の分岐点」はいくつもあったけど、全部、自分の意思で決めてきた。

 

他の人の生き方と比べて、その判断が良いとか悪いとかという話ではない。

 

ただただ「自分の意思で決めた」という事実そのものが、最後、自分が死ぬときに、

 

「あぁ、自分の人生を全うしたなぁ…」

 

と「満足」しながら逝けるただ一つの方法だと思ってる。

 

 

いろいろなことを言う人は大勢いるけど、話半分で聞いておく。

 

100%真剣に話を聞くのは、身近な家族だけだと心に誓って、これからも生きていく。