【書評】「魂の退社」にとても共感したので紹介します

 久しぶりの書評です。

会社を退職した間際に買ったこの本。共感できることがとても多かった!!

 

 

Amazonのレビューを見ると、評価は真っ二つ。賛否両論あります。著者の元朝日新聞社記者というバックグラウンドに引っかかっている人が多いみたいですね。

 

内容に共感できなくても、読み物としてみたときに、稲垣さんの書かれている文章はとても読みやすいと思いました。内容は稲垣さんの自伝に近いです。

 

ぼくもブログをこういった感じで書けるようになれるといいなぁ。。

 

魂の退社とはどんな本なのか

まずは内容紹介文を引用します。

 

「まっとうに会社で働く人が日本を支えている。それは本当にそうだと思う。しかし、会社で働いていない人だって日本を支えている。自営業の人たち、フリーランスで働く人たちは言うまでもない。さらに、お金を稼いでいない人たち、たとえば専業主婦、仕事をやめた高齢者、何かの事情で働けない人、子どもだって、みんな日本を支えているんじゃないだろうか?
食事をつくる、掃除をする、孫と遊ぶ、何かを買う、近所の人にあいさつをする、だれかと友達になる、だれかに笑顔を見せる――世の中とは要するに「支え合い」である。
必ずしもお金が仲介しなくたって、支え合うことさえできればそこそこに生きていくことができるはずだ。しかし会社で働いていると、そんなことは忘れてしまう。毎月給料が振り込まれることに慣れてしまうと、知らず知らずのうちに、まずお金を稼がなければ何も始められないかのように思い込み始める。そして、高給をもらっている人間がエラいかのようにも思い始める。 だから、会社で働いていると、どうしても「もっと給料よこせ」という感覚になる。これは、どんな高給をもらっていても同じである。(中略)
しかし私は、もうその争いに意味を感じなくなってしまった」(プロローグより)
そういう著者が選択したのは、会社を辞め、電気代200円で暮らす清貧生活だった。しかし、著者はかつてないほど希望に満ちていると書く。日々がなにより新しい。それは「お金」や「会社」から自由になったことで得たものだ。会社とは、お金とは、人生とはなにかを問う。笑って泣けて考えさせられて最後に元気が出る本!

 著者はこの本の中で、いかに日本の社会が「会社に勤める人」のために作られたシステムで成り立っているかを、実際に会社を辞めた後に体験したことを通して事あるごとに指摘しています。

 

ぼくも、会社を辞めた後、著者と同じように感じることが多くあったので、思わず

 

「あるある!」

 

と心の中で叫びながら読み進めました。

 

 

その1 それは安易な発言からはじまった

著者が退社に至るまでの経緯について書かれています。面白いのは、仕事が嫌になってというような「仕事上の悩み」で退社したのではないという点です。

 

ぼくがこの章を読んでイメージしたのは、

 

必死に働いて稼いだお金で贅沢をしてという消費のサイクルをクルクル回していくうちに、次第に「目が回ってくる」感覚に陥っているであろう著者の姿

 

お前はいくら稼いでいるんだ?という突込みは無しでお願いします。稼いでいる額は関係なくて、

 

お金があるから消費しなきゃ

 

というよくわからない強迫観念という感じでしょうか。まるで、日本の経済は俺が回すぜっ!とでも言わんばかりに、自分にとっての贅沢の限りを尽くす(豪遊とは違います)。

 

著者は、欲望全開の年老いた自分を想像して何とかしなくちゃと思い立ったわけです。

 

お金がなくてもハッピーだよね、という「何か」はないものか。いやもっと言うなら、お金がない方がハッピーだよね、という何か。それを探さねばならぬ。探すだけでなく、着実に身につけなればならぬ。 

 

サラリーマンを続けて老後は安泰と考えている人も、ハッピーに暮らすこととは全然違うという点は指摘しておきたいです。

 

特にお金を使って消費することに幸せを感じている人は、老後、お金を節約するときになると我慢を強いられる生活になるのは間違いないです。

 

その2 飛ばされるという財産

お金がなくてもハッピーだよね。という何かをつかんだきっかけとなる「人事異動」の話です。著者が大阪から香川へ異動を命じられたエピソードが書かれています。

 

突然始まった田舎暮らしの中で、著者は都会とは違う楽しみを見つけ出そうとします。

 

いつでもモノに満たされて満足している時代において、ものが「ない」生活のほうがずっと贅沢に感じることができることに気がつきます。

 

私はそれまでずっと、何かを得ることが幸せだと思ってきた。しかし、何かを捨てることこそが本当の幸せへの道なのかもしれない…。

 

断捨離にも通じる考え方ですね。

 

その3 「真っ白な灰」になったら卒業

この章は、「組織論」に通じる話が多いです。

 

共感したポイントを引用します。

 

「会社とは、組織と個人の戦いの場」であると思う

 

事なかれ主義、長いものには巻かれろ。人間の持つ本質的な欲や弱さが集団になるとたちまち顕在化し、組織そのものを蝕んでいく。

 

これを止めるのは個人の力しかありません。一人で判断し、一人で責任を引き受け、一人で動く。それは小さな力ですが、自分一人が決断さえすれば、誰にも止めることができない。それゆえに弱いけれど強いのです。

 

ほんとに、これっ!声を出して何度も読みたい!

 

会社で何かするときにお伺いを立てないといけないと思い込んでいる人は多いのですが、全く必要ないですから。やりたいようにやればいい。失敗したら素直に謝ってまた次へ進めばいい。会社はそんなに簡単に社員を首にできません。ぼくも辞める前の2年は、この思い込みを捨て去ることで一気に成果をだすことが出来るようになりましたよ。

 

上司にお伺いを立てるのは、「お金を使う」承認だけでいいのです。

 

その4 日本ってば「会社社会」だった!

この章。会社を辞めたあるあるの章です。

 

日本って、「会社辞めたんですけど何か?」の一言でまーるく収まる社会ではないんですよ。

 

カイシャ辞めるんです、と言うと、最初のリアクションはほぼ同じなのだ。

 

一瞬の絶句。

(中略)

まいったなー、どう話をつなげたらええんかいな…。 

 

これと全く同じシチュエーションをぼくも3月4月は経験しましたよ。

 

カイシャを辞めるとあなたはその時点で人生終わり。

 

のような憐みの瞳で見てくるんですよね。

 

いやいやいや、ぼくはまだ生きてますからっ!勝手に人生終わりにしないでください。

 

独立しようとしている人間のほうが、就職する人間よりリスクを取っている。だからより保護されるべきだとは言わないが、少なくとも新たな仕事が起動に乗るまでの間、就職する人と同レベルに暮らしの保障を受けることができてしかるべきではないのだろうか。

 

政府が進めている「働き方改革」も、会社で働く人がターゲットなんですよね。フリーで働く環境が整うことで、労働力の流動性も生まれてくる。と思いませんか?

 

その5 ブラック社員が作るニッポン

この章は、所謂生命保険を売る保険屋さんに読んでもらいたい。

 

人をだますには、まず不安にさせることだ。そうでなくても歳をとるということは不安だらけなのだ。そう考えていくと、もしかして高齢者は社会が「成長」するためのカモになってやしませんか?っていうか、オレオレ詐欺と、そうじゃない「正当な」商売の差って、いったいどこにあるのか。

 

まず、誤解のないようにいっておくと、保険者さんが詐欺師だということではないです。保険屋さんの常套句が、まず老後の不安をあおって、思考停止状態にさせたところで「こんないい保険がありますよ」というものだからです。まさに上で著者が指摘しているとおりです。ぼくは高齢者ではないですが、カモになりかけました。

 

オレオレ詐欺も保険屋さんの常套句も、不安をあおって商品を売りつける(もしくはお金をだまし取る)という利益を上げるための手段が同じなんですよね。

 

保険屋さんと話をする前にこの本に出合ってよかったです。

 

オレオレ詐欺や保険屋さんの常套句に引っかからないためには、自分の老後を「どうしたいのか」しっかりイメージしておくことだと思います。

 

あなたは、末期症状のがんに侵されたと分かったとき、自分がどうしたいのか「覚悟」は持っていますか?

 

「覚悟」がない限り、不安は付きまといますし、保険屋さんの常套句にひっかかりやすくなりますよ。

 

その6 そして今

この章では、仕事とは何かという問いについての著者の考えがまとめられています。

 

仕事とは、突き詰めて言えば、会社に入ることでも、お金をもらうことでもないと思うのです。他人を喜ばせたり、助けたりすること。つまり人のために何かをすること。

 

自分が入社して14年間やってきたことが誰かの役にたったのだろうか。と振り返ってみたとき、

 

何もない

 

ことに気がついてショックでした。。

自分が作ったモノで、利害関係者は勿論喜びはしますが、それはビジネスにおいての話であって、それ以上の広がりを見ることは無かったです。

 

ぼくが作ってきたものは大量消費するためだけの単なるゴミだったのか。。

 

未だに答えの出ない問いです。