14年ぶりの就職面接を受けてみて改めて考えた成果が出せる「働き方」とは

f:id:PSYuki:20170529215056p:plain 火曜日に14年ぶりに採用面接を受けた結果が届きました。
不採用
うん。納得の結果。

 

 

 

面接の中でやりたいことと事業が一致していないことがはっきりわかった上に、面接官の社長さんが不採用の空気を匂わせていたので 予測できた通りの結果です。

 

面接当日の様子についてはこちらの記事からどうぞ。 

 

上の記事で書き忘れていたのですが、面接も終わりに差し掛かり、社長さんから聞かれた一番印象に残った言葉はがこれ。

 

社「〇〇さんは、月収と年収はどれくらいでしたか」

 

僕 「月収で55万くらい、年収で800万くらいです」

 

社「収入は下がりますがそれでも構わないのですか」

 

僕「収入が下がるのが嫌なら会社を辞めていないです」

 

社「そりゃそうだ(笑)」

 

社「うちの会社ではそんなに出せないけど、募集している業務以外にもいろいろとやってもらうことでもっと給料を出すことは出来ますから」

 

収入についての質問は想定はしてたけど、実際に上のような質問をされるとやっぱり違和感があるなぁ。

 

本人がこれだけは稼ぎたいという意思と、会社がこれだけは稼いでもらわないと困るという期待値とのズレ。

 

会社の期待に応えようとすればするほど、サラリーマンは人生の時間を会社へ差し出すことになるという罠。

 

年収が高ければそれだけの実績を残してきたという幻想。

 

働く本人の意思は関係ないんだよね。どうして「もっと稼ぐ」ことが前提になるのか。働く人の中には、それほど稼がなくてもいいから、これくらいの収入の仕事でお願いしたい。という人も居るはず。

 

これらの違和感は、新卒で入社するときには全く感じなかったもの。裏を返せば、会社は社員がある種の「自己犠牲」のもとに会社に貢献することが当たり前という考えでいることが良く分かります。

 

14年前はとにかく必死で働くことしか考えなかったから、自分の人生の時間とかこれだけ稼いでやる!というような気持ちが全面にでることはなかった。

 

今思えば、「自己犠牲」の精神を持てば勝手に「結果がついてくる」という精神論のようなものにとり憑かれていたんじゃないか。

 

「自分はこれだけ頑張ってますよ。」とアピールしておけば、結果がついてこなくても同上と憐みだけは得られてマイナスにはならないだろうという算段。

 

なんていやらしいんだっ!

 

14年間でわかったのは、自分の人生の時間を犠牲にするような働き方をしても結果はついてこないということと、むしろ自分の人生の時間を大切にしながら仕事に取り組んだ方がずっと大きな成果を出すことが出来たということ。

 

自分の人生の時間を犠牲にする働き方というのは、「言われたことをただただ素直にミスなくこなす」ということ。

 

人生の時間を大切にするというのは、何も毎日残業せずに早く帰るようにすることや、のんびり仕事をすることではなく、

 

夜遅くまでハードに仕事をしながらも、休むべき時間はたっぷりとって自分のやりたいこともやる。

 

という「働き方」です。

 

毎日3時間(昼1.5時間、夕方1時間、夜30分)の休憩をとることで、今まで以上の成果を出すことができるなら、そうするべきです。

 

実際に、ぼくはそうしていました。残業代は出ない身分(制度)なので、残業代でいくらというような余計なことを考えずに済んだという環境も手伝って、朝の7時から夜の11時まで働くけど、毎日がっつり3~4時間は休憩していました。

 

休憩中は、散歩にいったり、少し遠くの町まで買い物に行ったり、他の社員から見れば「こいつは何やってんだ」と思われて当然(実際に思われてた)のような働き方をしていました。

 

休憩時間は1時間しかとっちゃいけないという会社の理屈は、自分の最大パフォーマンスを出して成果につなげるという目的の前には全く用を成しません。

 

会社からしたら、残業代を払ってでも、その人が成果を出して会社に貢献することを期待しているからです。 このことは、面接してもらった社長さんの台詞にも表れていますね。

 

だからこそ、サラリーマンの皆さんが考えるべき本当の働き方改革は、朝方にするとか、残業をなるべくしないというような方法論ではなくて(それも大事ですが)、どうやったら自分のパフォーマンスを最大限引き出して働くことができるのか。

 

ということです。